No.373 Yersinia pseudotuberculosis感染症集団発生

[ 詳細報告 ]
分野名:細菌性感染症
登録日:2016/03/17
最終更新日:2016/05/26
衛研名:青森県環境保健センター
発生地域:青森県上北郡野辺地町
事例発生日:1991年
事例終息日:
発生規模:母集団1,626名
患者被害報告数:推定患者数:732名
死亡者数:0名
原因物質:Yersinia pseudotuberculosis血清型5a菌
キーワード:Yersinia pseudotuberculosis血清型5a菌、集団発生、泉熱、エルシニア、Yersinia、感染症、病原性プラスミド、抗体価、人畜共通感染症、学校給食

背景:
Yersinia pseudotuberculosis(以下、Y. pseudotuberculosisと略)による感染症は人畜共通感染症として主にヨーロッパで多数報告されている。わが国では1913年Saisawaが敗血症死亡例から初めて本菌を分離して以来、虫垂炎例、小児の下痢胃腸炎例、敗血症例、川崎病の診断基準を満たす症例や「泉熱」と診断された集団発生例等から分離され、その多彩な臨床像に関心が持たれていた。「泉熱」という診断名はY. pseudotuberculosisがまだ分離されていない時期に呼ばれていた名称である。わが国での本菌による集団感染事例は1981年Inoue等の報告以来、これまで西日本を中心に14事例あり、このうち1986年の千葉県での事例は患者が651名と最大であったが、15事例目にあたる本事例は患者数において国内最大規模であった。

概要:
1991年6月5日午後2時30分頃、公立野辺地病院の小児科の医師から、野辺地町内の多数の児童、生徒が発熱、発疹、嘔吐、下痢等を呈して受診しており、その症状からウイルス性胃腸炎あるいは溶血レンサ球菌感染症等が疑われるとの連絡があった。また、同日午後3時、教育長から所轄の保健所に、W小学校の児童多数が、かぜ症状で欠席、早退(在籍数488名中欠席112名、早退56名)しているため、6日午後から10日まで休校するとの連絡があった。さらに、M小学校(在籍数149名中欠席36名、早退16名),N中学校(在籍数803名中欠席120名),A小学校(在籍数47名中欠席16名),K小学校(在籍数36名中欠席8名)からも同様な届け出が有り、同町での発生は小学校1校を除く小・中学校5校(在籍数1,523名)にのぼった。同町の住民と近隣市町村には発生が認められなかった。
感染者が出なかった小学校では5月29日から31日まで修学旅行中であったため、感染源は同町学校給食共同調理施設で調理された給食であることが判明した。
患者の臨床症状(478名)は発熱(86.4%)、発疹(73.8%)、腹痛(66.7%)、嘔気・嘔吐(63.4%)等の頻度が高く、苺舌、咽頭発赤、回復期の手指の膜様落屑、関節痛があり、多くの患者に血清抗体価の上昇が認められた。
細菌学的検査の結果、患者便33検体中27検体(81.8%)、給食施設排水1検体及び調理従事者等便2検体(11.7%)から病原性を有するY. pseudotuberculosisが分離された。なお本事例は9月28日に入院患者0名、10月25日に通院患者0名となり終息した。

原因究明:
患者及び調理従事者の便と血液、関連食品や機具器材等の拭き取り、さらには調理施設内の上水、排水、浄化槽汚水等について細菌学的及びウイルス学的検索を進めた。その結果、患者便から高率にY. pseudotuberculosis血清型5a菌が分離されると共に、調理従事者便、調理施設の浄化槽汚水からも分離された。分離された菌はすべて同一の生物化学的性状を示し、病原性プラスミドを保有していた。また、患者の血清抗体価の上昇も確認された。
本事例患者の疫学調査から平均潜伏期間は6.5日と推定された。また当時は検食の保存機関が48時間であったため、原因食品からの当該菌分離は不可能であった。しかし、疫学的解析により暴露日が5月30日と推定され、当日のメニューからブタ肉を用いた八宝菜が疑われた。食品の汚染が原材料にあったものか、保存中の汚染かは全く不明であった。
現在、わが国の検食の保存期間は一昨年来の腸管出血性大腸菌O157感染症の多発を契機に1週間に延長され、しかも原材料の保存も義務づけられており、潜伏期間の長い感染症の原因食品の究明に寄与している。

診断:

地研の対応:
事件の最初の通報は病院医師から環境保健センターの担当者にあったため、当該医師に対して所轄保健所への届け出を促すと共に、その内容を本庁の公衆衛生課及び所轄保健所に通報した。医師の通報内容から溶血レンサ球菌等の細菌とウイルス両面について考慮し、検体採取に当っては、所轄保健所の職員と教育委員会の職員の他に検査担当のセンター職員も病院に急行することとなった。現場の状況からエルシニアの可能性が強いとが判断され、現場から培地の手配等が行われた。Y. pseudotuberculosisの発育には塗沫培養では25℃で48時間、増菌培養では4℃で1週間から4週間が必要であったこと、また病原性の確認が必要であったこと等から、菌の確定までに長時間を要した。

行政の対応:
平成3年6月5日に発生を探知した時点では、食中毒以外の感染症として公衆衛生課が担当していたが、患者への聞き取り調査により一給食施設を利用していた小中学校生徒が感染していたことが判明し環境衛生課も対応に加わった。6日に検体が採取され、7日には「泉熱」の病原体Y. pseudotuberculosisの可能性のあることが報道関係者に説明された。10日には住民の不安を解消する等の配慮から環境保健部長の記者会見が行われ、菌の特定はされていなかったが本感染症を学校給食に起因する「泉熱」と断定された。翌11日に野辺地町教育委員会に対して給食施設の改善命令・勧告・指導が行われた。野辺地町からは菌の分離がなされていない状況での原因断定に反発もあったが、疫学的状況証拠により原因施設が明白であること、また14日に菌が確定されたこと等により給食施設の改善計画が進み、8月26日には給食施設が再開された。事例終息後、感染源の実態調査を行うため「青森県野辺地町小、中学校に集団発生したエルシニア感染症に関する検討委員会」が設置され、環境保健センターが検査を実施することとなった。検討委員会は合計4回開催され、結果は報告書としてまとめられた。

地研間の連携:
事件発生に際しては、任意団体「エルシニアの生態学に関する研究会」(会長麻布大学丸山務)を通じて東京都立衛生研究所、岡山県保健環境センター、島根県衛生研究所、静岡県衛生環境センターの関係各位から多くの文献的、技術的支援を受け「Yersinia pseudotuberculosis感染症集団発生事例報告」としてまとめることができた。

国及び国研等との連携:
厚生省を通じて国立公衆衛生院、国立予防衛生研究所(現感染症研究所)からアドバイスを受けると共に、感染症研究所に検体の一部を送付しPCR法による遺伝子学的検査を実施していただいた。糞便から直接PCR法では検出が出来なかったが、増菌培養により菌が検出されている。

事例の教訓・反省:
事件の発生に際し医師の間では溶血レンサ球菌感染症あるいは何等かのウイルスの疑いが持たれていたたが、検体採取のため医療現場に急行した細菌担当とウイルス担当がエルシニア感染症を疑い、このことが迅速な病原物質解明に寄与した。現場への派遣者は、事件発生以前から食中毒菌Yersinia enterocolitica血清型O8菌の調査研究を行ってエルシニアの知識があったこと、またA群溶レン菌感染症の疫学的調査経験を有していたこと等により適切な判断が可能であったと考えられる。この事から、何らかの感染症が発生した場合、感染症についての実務経験のあるエキスパートが医療現場あるいは発生場所へ急行することの重要性が認識された。
また本菌の培養には長時間を要し、しかも性状確認、病原性の確認を行わなければならず、結果判明までに多大の時間を要した。現在ではPCR法による病原性検査が確立しているため、菌の存在の確認及び病原性因子の検出が容易となったが、短期間で菌の分離が可能な培地の開発が望まれる。

現在の状況:
事件発生年から多くの関連検体について感染源調査が行われ、その過程で遺伝子学的な菌検出方法に関する技術と機器の整備がなされた。またわが国には、先に述べた任意団体、「エルシニアの生態学に関する研究会」があり、エルシニア感染症に対して即座に有効な情報の収集並びに検査の協力が可能となっている。現在も本団体を通じ、エルシニアに関する多くの情報を得ているとともに、それらの情報を地元の臨床検査技師会等の研修会で還元しており、本菌に対する医療現場での認識はかなり向上したものと考えられる。また現在、当該菌等の試験・研究にも対応したバイオハザード対策安全実験室P3の整備の実現を目指している。

今後の課題:
近年、わが国では腸管出血性大腸菌の集団発生等の発生により感染症に対する社会的関心は高まったが、発生に備えての危機管理体制が未だ十分とは言えず、なお次のことが望まれる。
1)国として
(1) 地研における感染症試験・研究部門に対する予算補助
(2) 地研における試験・研究部門の設備・人員等のガイドライン作成
(3) 検査方法に関する情報の収集と提供
(4) 希少感染症の解明に関する技術研修の整備
2)地方自治体として
(1) 希少感染症予防対策
(2) 感染症に関する疫学のスペシャリストの養成
(3) 多種類の感染症検査に対応できる人材の育成
(4) 地研におけるバイオハザード防止施設の整備

問題点:

関連資料:
1) 「青森県野辺地町におけるYersinia pseudotuberculosis血清型5a菌による集団感染症」豊川安延ほか、感染症学雑誌、67(1)、36-44、(1993)
2) 「Yersinia pseudotuberculosis感染症集団発生事例報告」Yersinia pseudotuberculosis感染症に関する実態調査検討委員会編(1992)