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本ページでは現在連載中の、健康局結核感染症課の浅沼一成課長によるコラムを掲載しています。
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◆「あさコラム」vol.23「かえり船」(2016年9月30日)
こんにちは、厚生労働省健康局結核感染症課長の浅沼一成です。
前回のコラムでは、狂犬病に関連してカメ犬を取り上げました。
狂犬病はヒトの死亡率が高い感染症ですが、犬の登録や予防注射といった
取り組みの結果、現在、わが国では、犬などを含めて狂犬病の発生はありま
せん。
しかし、狂犬病は世界のほとんどの地域で依然として発生しており、わが
国は常に侵入の脅威に晒されています。
今回の麻しん事案の例を取るまでもなく、万一の侵入に備え、日頃からの
備えが大切です。
ちなみに、狂犬病ワクチンの注射率は、犬の登録頭数に対して毎年70%ち
ょっと。
但し、平成26年度の注射率では、一番高い長野県の93.1%から一番低い沖
縄県の50.3%と、都道府県格差が大きくなっています。
ぜひ、犬の飼い主の方一人一人が、狂犬病に関して正しい知識を持ち、犬
の登録と予防注射を確実に行っていただきたいと願うばかりです。
さて、犬は犬でも、ウナギイヌを創作したのは漫画家の故・赤塚不二夫さ
ん。
その赤塚さんが第二次世界大戦終結後の昭和21年(1946年)6月、満州から
引き揚げて帰国した場所が、引揚港に指定された佐世保市浦頭港です。
当時の長崎県佐世保市の針尾島浦頭の地には、昭和20年(1945年)から
「厚生省佐世保引揚援護局検疫所」が置かれ、同年から昭和25年(1950年)
まで、引揚船1,216隻、約140万人の引揚者の方々が、中国大陸や南方諸島か
ら帰国しました。
「引揚検疫史」に基づく引揚検疫実績によりますと、昭和20年(1945年)
10月から昭和21年(1946年)12月までの佐世保港における検疫人員は約112万
人、782隻の検疫船舶数のうち汚染船舶数は104隻。
この間、コレラの患者数は299名で死者72名、発疹チフスは患者数107名で
死者7名、痘そう(天然痘)は患者数29名で死者5名となっています。
現在ではコレラは適切に治療できる消化器感染症となりましたが、漢字で
「虎列剌」と書くほど、当時は致死率の高い感染症でした。
祖国を前にコレラが発症したため上陸できず、沖で停留された船内で死亡
された方も決して少なくありません。
また、検疫所では、必要な引揚者の方々に対して、コレラ、痘そう、発疹
チフス、腸チフス、パラチフスの予防接種も行われており、総計226万件
(重複含む)の予防接種が実施されました。
検疫や予防接種の後、佐世保引揚援護局で事務手続きを終えた引揚者の方
々は、当時の国鉄大村線の南風崎(はえのさき)駅から引揚列車に乗って、そ
れぞれの郷里へ戻られたそうです。
現在のハウステンボスの近くにある南風崎駅ですが、ここから東京まで、
遠路直通で引揚列車が走っていたとか。
その後、佐世保引揚援護局検疫所は昭和23年(1948年)から佐世保検疫所
となりましたが、検疫業務量の縮小とともに、昭和50年(1975年)には長崎
検疫所佐世保支所と本所から格下げされ、平成3年(1991年)には長崎検疫
所佐世保出張所となり、現在の佐世保港に移っています。
一方、旧佐世保検疫所跡地を見下ろす丘陵部には、「浦頭引揚記念平和公
園」が昭和61年(1986年)に開園、園内には引揚記念資料館が設置されてい
ます。
資料館の展示室には、引揚げ経路のジオラマや当時の引揚者の方々の衣服、
引揚証明書、DDT消毒に用いられた器具などが飾られており、当時の引揚検疫
業務の面影を伺うことができます。
ちなみに、この資料館は入館無料なんですよ。
遠くには、国の重要文化財に指定されている3本の巨大な針尾無線塔(旧
佐世保無線電信所)が望め、また、園内には平和の像と故・田端義夫さんの
「かえり船」の歌唱碑が建立されています。
かえり船なのにコレラで帰らぬ人になってしまった悲しみを無にしないよ
う、感染症対策に励みたいと思う次第です。
引揚記念資料館前広場より平和の像を臨む
南風崎駅からの引揚列車
「かえり船」歌唱碑