No.863 重油汚染

[ 詳細報告 ]
分野名:化学物質による食品汚染
登録日:2016/03/11
最終更新日:2016/05/27
衛研名:岡山県環境保健センター
発生地域:岡山県倉敷市海岸通り A石油水島精油所(流出油は、水島港を経て笠岡市以東の瀬戸内海全体を汚染した。)
事例発生日:1974年
事例終息日:
発生規模:
患者被害報告数:被害者数
死亡者数:0名
原因物質:C重油(脱硫)
キーワード:C重油、重油汚染、瀬戸内海、油臭魚、水島臨海工業地帯、n-パラフィン、ベンゾ(a)ピレン、有機イオウ化合物

背景:
水島臨海工業地帯(水島コンビナート)は、岡山県南新産業都市の中核として昭和28年から開発整備が進められ、事故発生当時、操業中の企業は79社89事業所で、その占める面積は21,218千m2に及んでいた。
石油関係では、A石油及びB鉱業が操業し、その生産能力は
石油精製 505,200バーレル/日
石油化学  700,000トン/年であった。事故を起こしたA石油水島精油所の石油タンク総数は334基で、問題の50,000klタンクも8基設置されていた。ここに一旦貯蔵された重油は、張り巡らされたパイプラインを通して、直接コンビナート内の関連企業に供給される態勢にあった。臨海工業地帯は、一般に軟弱な地盤上に立地しており、基礎工事に少しでも不備があれば、いつ重大な事故が起きても不思議ではない状況にあった。
世界的に見ても欧米及び日本等で石油コンビナートが著しく発展しており、それらの地域と原油生産国との間に巨大タンカーが相次いで就航し、輸送頻度が増大するにつれて大規模な原油流出事故が各地で発生(Torry Canyon号;1967年、Santa Barbara号;1969年など)していた。

概要:
昭和49年12月18日20時40分頃倉敷市海岸通りに位置するA石油水島精油所内の重油貯蔵タンク一基から大量のC重油が流出した。重油タンク周辺には防油堤が設置されていたが、吹き飛ばされて倒壊した点検用鉄製階段によって破壊されたため用をなさず、C-重油は排水溝等を経て、海上へ奔流となって流出した。強い風波(強い西ないし北西の季節風)と大量の流出油(タンクからの流出油量約43,000kl、海上への流出油量7,500~9,500kl)のためオイルフェンス展張作業(深夜)が難航したこともあって、翌19日朝には水島港域外に拡散を始め、26日には一部が紀伊水道へ抜けたことが確認された。
被害としては、ノリ、ワカメ及びハマチの養殖などに甚大な被害が生じた。漁船漁業についても、事故発生以来一部の漁場を除き漁が中止されていたが、油臭魚調査等を経て翌年2月7日、全漁協において安全宣言が出され操業が開始された。

原因究明:
A石油水島精油所タンク事故調査委員会により、主たる事故要因として以下の点が指摘された。

1.軟弱な地盤に対する基礎工事が不完全であった。
2.基礎地盤支持力の局部的減少が生じていた。
3.タンクの構造、強度についての配慮が不十分であった。
4.溶接施工及び管理が充分でなかった。
5.タンク建設における関係企業間の連携と責任体制が欠如していた。
6.タンクの安全管理について問題があった。

診断:

地研の対応:
事故発生に伴なって県庁衛生部環境衛生課から、瀬戸内海産魚介類のC重油による汚染の有無を客観的に評価する方法を早急に開発するよう要請された。しかし今回のC重油は脱硫されていたため臭いも比較的少なく、しかも重油自体が複雑な混合物であるので、即座によい方法を見つけることは不可能であった。そこで所内に3名よりなるプロジェクトチームを編成し,国立衛生試験所等とも連絡を取りつつ集中的に検討を加え(1)n-パラフィン系炭化水素(2)3,4-ベンズピレンを指標化合物(群)として選ぶことを決定し、内海産のカレイ・アイナメを中心に80検体の実態調査を実施した。更により良い指標化合物を見出すために、C-重油を混入させた水槽中でウナギを長期間飼育した結果、重油に微量含まれる有機イオウ化合物群が、良く汚染を反映することを明らかにした。

行政の対応:
知事を本部長とする岡山県A石油流出事故対策本部を組織し、オール県庁態勢で作業に従事した。衛生研究所関連では、衛生部で「事故に伴う影響調査(魚介類の汚染実態調査)」を担当した。

地研間の連携:

国及び国研等との連携:
事故後速やかに国立衛生試験所内山食品部長(当時)主催の下に大阪支所で連絡会議が開催され、関係県の担当者(大阪府立公衆衛生研究所、岡山県衛生研究所、兵庫県衛生研究所、香川県衛生研究所)が集まり、重油汚染の指標化合物が決定された。更に昭和51年~53年内山部長を班長とする「海洋の油汚染と海産食品の汚染との関連性に関する研究」(国立機関公害防止等試験研究費)が組織され、この方面に関する研究が大いに進展した。

事例の教訓・反省:
今回の事故が発生した昭和49年までに、諸外国で度々原油タンカー等による事故が起きていたにもかかわらず、何ら準備をしていなかったために、対応が後手後手となった。

現在の状況:
GC/MS、キャピラリーカラム等を始め分析機器の精度が格段に上昇したために当時と比較すると、分析が随分楽になったと思う。しかしながら、緊急時に対応する体制が充分に整備されているとは言い難い。

今後の課題:
タンカーの事例を見るまでもなく、最近の事例はますますグローバル化・広域化している。それに的確に対応するためには、是非以下のことが望まれる。

1.地研における分析機器整備への予算補助
2.緊急時マニュアルの整備
3.インターネット等を利用した国研及び地研間の情報交換体制整備

問題点:

関連資料:
1. ○○石油流出事故の概要、昭和50年3月、岡山県
2. 1975 Conference on Prevention and Control of Oil Pollution, Proceedings March 25-27, Sanfrancisco CA (1975)
3. 重油に関する衛生学的研究、第1報、魚介類中の重油成分分析法、岡山県衛生研究所年報 22, 25-29 (1975)
4. 重油に関する衛生学的研究、第2報、生体移行の重油成分(有機イオウ化合物)の分析法並びにその応用、岡山県衛生研究所年報、23, 27-30 (1975)
5. 海洋の油汚染と海産食品の汚染との関連性に関する研究、昭和51年度環境保全研究成果集(1)22-1~22-22、環境庁企画調整局研究調整課 (1976)