No.899 チェルノブイリ原発

[ 詳細報告 ]
分野名:その他
登録日:2016/03/11
最終更新日:2016/05/27
衛研名:大阪府立公衆衛生研究所
発生地域:旧ソ連ウクライナ共和国キエフ市
事例発生日:1986年
事例終息日:
発生規模:
患者被害報告数:急性放射線症:137名,小児甲状腺ガン:約900名(1995年末迄),強制移住者:約30万人,
死亡者数:283名
原因物質:放射性物質
キーワード:チェルノブイリ、原子力発電所、放射性物質、放射線障害、急性放射線症、小児甲状腺ガン、輸入食品、放射能検査、放射性セシウム、放射能調査

背景:
我が国の環境放射能調査は、1954年のビキニ環礁における米国の核爆発実験を契機として、関係行政機関において開始された。その後、1961年になって、一時中断されていた米ソの大気圏における核爆発実験が再開され、我が国へ相当量の放射性降下物が落下したことにより、内閣に放射能対策本部を設置し、科学技術庁を中心とした放射能調査網の一層の拡充を図った。当所では、1960年から科学技術庁の委託を受け、大阪府における環境放射能の調査を行ってきている。

概要:
1986年4月26日、旧ソ連ウクライナ共和国キエフ市北東130キロメートルにあるチェルノブイリ原子力発電所4号炉で事故が発生した。この事故の原因は、不安定な低出力状態での特殊な試験を強行した結果、炉心における出力が全く制御できない暴走状態になったものである。その結果、原子炉や建物が破壊され、火災の発生や爆発に伴い、燃料内に閉じこめられていた大量の放射性物質が外部に放出された。放出された放射能量は、約3.7エクサ(1018)ベクレルと言われ、その半分は放射性希ガス(キセノン133やクリプトン85等)であり、残りがヨウ素131やセシウム134、セシウム137等であった。放出された放射性物質は、火災による上昇気流にのって大気圏まで運ばれ、放射能雲(プルーム)となって大気中を移流・拡散し、旧ソ連やヨーロッパ地域を中心に、世界各地を放射能で汚染した。日本でも、事故直後、放射能対策本部の拡大代表幹事会(科学技術庁、防衛庁、外務省、農林水産省、水産庁、運輸省、気象庁、海上保安庁で構成)が開催され、放射能調査監視体制の強化が申し合わされていたところ、5月3日にチェルノブイリ事故による放射性物質の日本への飛来を認めた。
放出された放射性物質による健康影響は、事故当初、炉の制御、消火や除染に従事した者で137名が急性放射線症を引き起こした。事故後3ヶ月に28人が死亡、急性期以後10年間に14名が死亡した。その後、旧ソ連3カ国において、小児甲状腺ガンの増加が確認され、約900人に及ぶ患者が報告されている。この小児甲状腺患者数は、1990年より増加し減少傾向は見られていないという(1996年現在)。幸いにして、日本におけるチェルノブイリ事故の影響は、個人の平均被爆線量で0.007ミリシーベルト(1986年)であり、ラドンを含む自然放射線による一人当たりの年間被爆線量2.4ミリシーベルトに比べ、非常に僅かであった。
次に、放出された放射性物質による環境汚染の結果、食品の放射能汚染が問題となった。事故後、放射性物質による環境汚染の拡大が明確となり、欧州諸国では、ヨウ素131や放射性セシウムを中心に、食品の消費、販売、輸入等に関する規制値が設定された。日本でも、1986年11月に、食品中の放射能に関する暫定限度(放射性セシウム:370Bq/Kg)が設定され、それ以降現在に至るまで、輸入食品中の放射能検査が続けられ、現在まで56件の食品から暫定限度を越える放射能を検出している。

原因究明:
事故後、大阪府衛生部(現保健衛生部)では、同部環境衛生課を窓口として、科学技術庁からの指示を受け、情報の収集や提供に努めた。また、1986年5月上旬、天皇陛下の植樹祭が堺市大仙公園で開かれたのに伴い、府独自の観測態勢も強化した。
また、同部食品衛生課では、厚生省の実施する輸入食品の放射能検査により違反食品が報告されたのを受け、府下に流通する食品の安全性を確認するため、放射能検査を実施してきている。

診断:

地研の対応:
当研究所では、上述の通り、昭和35年以降、環境及び食品試料を対象に放射能調査を実施してきた。この調査は、核爆発実験や原子力施設等からの人工放射性物質による環境汚染の有無及びそのレベルを明らかにすることを目的に、科学技術庁の委託により実施している。事故発生直後の1986年4月29日、科学技術庁より、環境モニタリング強化の指示があり、空間放射線量率、降水中及び大気浮遊塵中の全ベータ放射能を毎日測定し、その結果を、大阪府衛生部(現保健衛生部)に連絡すると共に、科学技術庁に連絡した。また、大気浮遊塵中に有意なレベルの全ベータ放射能を検出してから、同試料中のガンマ線核種分析も併せて行った。この放射能調査の強化は、科学技術庁の指示で5月22日迄、その後大阪府独自で6月9日まで実施した。
その後、欧州で食品の放射能汚染が明らかになり、輸入による放射能汚染食品の国内流通が問題となり、国(厚生省)では食品中の放射能暫定限度を設置し(上述)、輸入食品の放射能検査を開始した。当所では、1988年以降、衛生部(現保健衛生部)食品衛生課の委託を受け、輸入食品等の府下に流通する食品の放射能検査を実施してきている。

行政の対応:
事故後、大阪府衛生部(現保健衛生部)では、同部環境衛生課を窓口として、科学技術庁からの指示を受け、情報の収集や提供に努めた。また、1986年5月上旬、天皇陛下の植樹祭が堺市大仙公園で開かれたのに伴い、府独自の観測態勢も強化した。
また、同部食品衛生課では、厚生省の実施する輸入食品の放射能検査により違反食品が報告されたのを受け、府下に流通する食品の安全性を確認するため、放射能検査を実施してきている。

地研間の連携:
突然の事故であった事、また放射能調査が科学技術庁主導で行われている事もあり、地研間の連携は少なかった。ただ、観測値の確認のため、近隣府県の放射能分析担当者と電話による情報交換を行った。

国及び国研等との連携:
放射能調査の事業が科学技術庁の委託で行われている事から、国との連携は強く、事故直後の放射能調査の強化も科学技術庁の指示によるものである。また、科学技術庁の下部機関である放射線医学総合研究所は、放射線影響の専門家集団であり、地研の放射能調査の学問的・技術的指導の立場にある。当所の放射能調査担当者も放射線医学総合研究所で、環境放射能調査の研修課程を受講している。

事例の教訓・反省:
突然の事故に対する対応策が検討されていなかったため、事故発生直後は、国、大阪府及び当所においても適切な行動がすみやかにとられたかは疑問が残る。当時の放射能調査は、32都道府県で行われていたが、全ベータ放射能分析を主とするものであり、核種を同定・定量するガンマ線核種分析は原発設置県・隣接県ほか大学等の限られた研究機関しか行われていなかった。従って、放射能調査を強化しながらもチェルノブイリ事故の影響を評価できるデータは少なかった。また大阪府においても、放射能調査は国の仕事という認識があり、事故直後、放射能調査担当部署が明確ではなかった。また、当所でも、2名の放射能調査担当者が、膨大な数の、新聞社や府民からの電話に応対しながら、調査試料の分析や情報収集をせざるを得ず、事故直後数日間は混乱した事は否定できない。ただ、その後は、担当者以外の環境衛生課員に加え労働衛生部の応援を得て、チェルノブイリ事故による緊急放射能調査を完遂できた事は明記しておきたい。
従って、地研では、こうした事故の発生にあたり、緊急時対策のマニュアルをあらかじめ作成(例えば、試料分析に携わる者、情報収集や関係機関との連絡に携わる者及び新聞社や府民からの問い合わせに答える者の役割分担等)しておく必要があると考える。また、試料分析に携わる者は、限定された者のみでなく多数の者が分析できるよう日頃から訓練しておくことや、分析法マニュアルの整備をしておく必要があると考える。

現在の状況:
国(科学技術庁)は、チェルノブイリ原発事故以降、放射能調査体制の充実を計り、1987年から4年計画で、従来32都道府県で実施していた調査を47全都道府県に拡大すると共に、核種分析機器が整備されていない府県に当該機器を設置して核種分析体制の徹底を計った。また、緊急時報告様式も整備し緊急時のデータ収集も速やかに行われるようマニュアルづくりに努めている。さらに、測定データの信頼性確保のため、(財)日本分析センターに分析確認事業を行わせ、分析機関の測定技術の向上に努めている。
大阪府庁も放射能調査委託事業の行政窓口を保健衛生部環境衛生課とし、公衆衛生研究所の放射能調査を監督している。
公衆衛生研究所においても、科学技術庁より核種分析機器の設置を受け、核種分析を中心とした放射能調査体制に移行している。業務に従事する職員(2名)は、前述の放射線医学総合研究所で実施する放射能調査研修課程を修了し、核種分析を中心とする放射能調査に必要な知識・技術を収得している。また、分析確認事業(上述)にも参加し測定値の信頼性向上のため日々努力をしている。ただ、所内における緊急時の対応(役割分担等)については今のところ案は考えられていない。
なお、食品中の放射能検査については、保健衛生部食品衛生課が窓口になり、毎年、流通している輸入食品等について当所で検査を行い、食品の安全性確認に努めている。

今後の課題:
上記のように、チェルノブイリ原発事故以降、科学技術庁を中心に、放射能調査体制の拡充・整備を行ってきたため、住民避難や飲食物の摂取制限を伴わない軽微な事故に対して、現在ではあまり問題点はないと考える。ただ、事故が大阪府近隣で発生し、住民避難
や飲食物の摂取制限をとらなければならない程の重大なものであれば、現在の体制で十分とは言えない。従って、万一の重大事故に対して、原発設置県で行っている原子力施設周辺環境放射線モニタリングシステムに匹敵する放射能調査体制を、国及び自治体の協力において確立する事が必要と考える。

問題点:

関連資料:
1) 「ソ連原子力発電所事故以後の状況」、科学技術庁冊子(1991年3月)
2) 「放射線被曝の社会的影響の評価-チェルノブイリ事故から学ぶ」、第24回放医研環境セミナー予稿集、(1996年12月5日・6日)
3) 「大阪府におけるソ連チェルノブイリ原子力発電所事故の影響」、田村幸子他、大阪府立公衛研所報、公衆衛生編第25号(1987)
4) 「平成9年度放射能測定調査委託実施計画書」、科学技術庁原子力安全局原子力安全課防災環境対策室(1997年5月)
5) 「環境放射線モニタリングの信頼性確保のために」、科学技術庁冊子(1990年3月)