一般医療機関における化学テロ対応標準初動マニュアル初版(指揮者・病院管理者向け)

目次

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Ⅰ 医療機関における化学テロ災害対応の必要性と全体的な流れ

Ⅱ 事前準備編

1.対応すべき化学テロ災害の事前想定を行い、事前計画を立てる

2.災害対策本部について、事前計画を立てる

3.安全確保について、事前計画を立てる

 
Ⅲ 災害発生知覚後の対応

1.化学テロを疑う事象は?(SCENE AND SIZE UP)

2.化学テロを疑ったとき・発生源を得たときの行動

3.安全確保(3S)

4.収容準備(PREPARE)

5.サーベイ(SURVEY)

6.除染(DECONTAMINATION)

7.トリアージ(Triage)

8.評価と診療(Evaluation and Care)

 

マニュアルを理解するための用語集・本項の参考文献

 

Ⅰ 医療機関における化学テロ災害対応の必要性と全体的な流れ

医療機関における化学テロ災害対応の必要性

1995年に発生した東京地下鉄サリン事件では5編成の地下鉄車両で神経剤サリンがまかれ、5000名以上の負傷者が発生した。聖路加国際病院は、被害が大きかった築地駅に近かったことから、640人もの方が来院した。救命救急センターや救急対応医療機関の受け入れ能力をはるかに超えたため、一般病院にも患者自らが多く来院した。このような状況では、一般医療機関においても患者に対する診療の役割が求められると考えられる。本マニュアルでは一般医療機関での標準的な対応について記述し、外来患者や入院患者、病院職員に二次被害無く円滑に対応できることを目的とする。医療機関の規模や立地条件や地域で求められる役割は異なるため、各自の医療機関の状況ごとに応用する。

全体的な流れ

医療機関における化学テロ災害対応の全体的な流れを図1に示す。

図1 医療機関における化学テロ災害対応の全体的な流れ

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Ⅱ 事前準備編

1.対応すべき化学テロ災害の事前想定を行い、事前計画をたてる

① 地域で発生する傷病者数(規模)の設定をする(表1)。本マニュアルはレベル3規模の化学テロ災害に対する一般医療機関での対応について記述する。

表1 地域で発生する傷病者数(規模)

レベル規模
レベル1通常救急対応規模(数人規模)
レベル2数十人規模
レベル3数百人規模

②本マニュアルの想定される原因物質について、症状、症候、治療法について知識を深めておく。(病院・救急部門における急性期患者ケアのガイドライン(CHEMM)→参照)

③患者の発生可能性のある場所を想定し、患者の病院への到達経路や到達までの時間を想定する。

④自病院に来院する患者数を想定する。

⑤転院先となる医療機関や応援が期待できる周辺の機関を確認しておく。

2.災害対策本部について事前計画を立てる

①以下を災害マニュアル等に明記しておく。

災害対策本部長 ・本部要員 ・対策本部長が不在や連絡が取れない場合、代行者指名順位 ・本部要員それぞれの役割 ・設置基準 ・設置場所 ・必要な外部連絡先を検討

災害対策本部には、通常の固定電話や携帯電話が不通の場合にも外部と通信できる設備、災害時にも使用できるインターネット回線(デジタル通信対応衛星携帯電話等)を事前に確保する。

③広域災害救急医療情報システム(EMIS)の入力担当者を事前に決めておく。

④本部活動を行うための十分なホワイトボード等を事前に確保する。

⑤院内各部門の対応事前計画を事前に策定する。 1) 診療部門 2) 看護部門 3) 臨床検査部門 4) 放射線部門 5) 薬剤部門 6) 事務部門 7)警備部門

3.安全確保について、事前計画を立てる
1.外来患者・入院患者の安全確保

災害を覚知した場合は、汚染の可能性のある外来患者と汚染の可能性の無い外来患者・入院患者が混じらないように極力配慮する。そのためには後述する ゲートコントロールを早期に確立する。(→参照)

2.職員の安全確保 1)個人防護具

健康被害を防止するために原因物質を遮蔽することを防護という。危険物は主に気道・呼吸器と皮膚や粘膜(眼)を通して体内に吸収されるため、防護の対象は主に呼吸と皮膚・粘膜であり、それぞれ呼吸用保護具と防護服を用いる。呼吸用保護具、防護服、手袋、長靴などの備品を合わせて防護具という。個人が身につけて安全を確保する装備を個人防護具(personal protective equipment;PPE)という。

①必要数量を算出し準備しておく。

防毒マスク面体レベルC対応の吸収缶)を準備する

③ブチル性手袋を推奨

防護衣レベルCレベルD

⑤代用品の備蓄も検討しておく(表2)

・手袋:食器洗い用の手袋 ・面体:ゴーグルとフェースシールド ・防護衣:手術用ガウンと耐水性エプロン

2)防護服(PPE)の選択

レベルC: 呼吸器系統に対しては全面型マスクを装着し、吸収缶で吸気の安全を確保する「ろ過式呼吸用保護具」の防毒マスクが用いられる。酸素欠乏環境ではなく、原因物質が同定され、吸収缶が原因物質に適合していることが使用の前提となる。医療機関における化学剤の対応において、通常患者に付着する原因化学物質の濃度は低く、環境濃度が許容範囲内であることが想定されるため、レベルCが標準となっている。多くの種類のものが商品化されており、電動ファン付き呼吸用保護具(Powered Air-Purifying Respirator;PAPR)が装備されているものもある。

レベルD(+):気道、呼吸、顔面粘膜はレベルCと同等であるが、皮膚に対してはCよりは一段低いレベルで良い程度の危険性。化学防護用の面体・マスクと病院内で通常使用する標準予防策(長袖の手術着やガウン、エプロンを想定)(→参照)

レベルD: 大気中に有害物質がなく、有害な化学物質との接触や、予見不可能な化学物質による人体への危険性が排除されており、最小限の皮膚の保護を必要とする程度の危険性。呼吸器系は防塵マスク又はN95マスクと病院内で通常使用する標準予防策(ゴーグルやフェイスシールド、長袖の手術着やガウン、エプロンを想定)

表2 防護具と代用品例

気道・呼吸顔面全身
レベルCレベルC用の吸収缶顔面全体を覆う面体あるいはフードブチル手袋耐化学性長靴化学剤対応レベルC防護衣(ブチル、タイケム)
レベルCの代用品例ゴーグルフェースシールド食器洗い用手袋長靴手術衣に耐水性エプロン
レベルDN95マスク
サージカルマスク
ゴーグル医療用手袋足袋耐水性エプロン
3.治療現場の安全確保 動線ゾーニング 1)患者動線を事前に決定しておく。

①自力歩行患者と患者を乗せた車両・救急車の病院敷地内への進入動線を事前に決めておく。この進入動線は、可能な限り少なく、できれば1カ所とするのがよい。

②汚染者(除染完了前の患者)と非汚染者(通常の患者・職員と除染完了後の患者)の動線が可能な限り交差しないように患者の動線を決定する。

③脱衣が完了した患者は診療エリア(コールドゾーン)へ誘導する。この際に、除染前の患者と除染後の患者が混じらないように動線を決める。

2)エリアを事前に設定しておく。

①患者を乗せた救急車・車両の停車位置エリアの設定

②自分で自ら外套を脱衣し、露出部を清拭できる(自己脱衣)ができるように、病院の入り口周辺に、乾的除染エリア(ウオームゾーン)を確保し資器材を配備する。

乾的除染エリア

ⅰ. 自己脱衣可能な患者のための自己脱衣エリアの設定

ⅱ. 介助が必要な患者のための脱衣エリアの設定

ⅲ. 臥位除染エリア(歩行不能・自己脱衣不能患者)の設定

水除染エリア(乾的除染で99%の除染効果が知られているため必須でない →参照)

ⅰ. 場所の設定 (院外または院内)

ⅱ. 必要物品の準備

除染エリア(ウォームゾーン)と診療エリア(コールドゾーン

ⅰ. 除染エリアと診療エリアを決める。

ⅱ. 院内においても汚染患者の隔離エリアを事前に決めておく

ⅲ. 水除染エリアを院内に設置する場合は院内において汚染エリア(除染エリア)と非汚染エリア(診療エリア)の境界線を決める

⑥診療エリアの設定

⑦診療後待機エリアの設定 注)いずれのエリアも風通しの良いように工夫する。

⑥診療エリアの設定

3)病院出入り口の管理体制を事前に決めておく。(→参照)

①汚染患者と非汚染患者・除染済み患者が混在しないように、要員を配置して人の出入りを管理する出入り口を事前に決めて明確にしておく。

②施錠により閉鎖する出入り口を事前に決めて明確にしておく。

4)換気の配慮

①特に除染するエリアは屋外など風通しが良く場所を選定する。

②診療エリアも窓を開け、扇風機等で屋外に換気が出来るように配慮する。

5) 汚染物質の拡散防止

汚染物質が付着した衣服・靴や持ち物は、ビニール袋に入れ密閉する。

4.要員の配置・連絡・連携 1.職員の招集と役割分担、配置を事前に決めておく。

PPEは各病院の準備状況に応じて計画する。)

1)警備誘導

事務・警備職員若干名、患者・救急車の侵入路に従い配置する。

2) 除染

除染エリアにおいて、患者の全身状態に応じて、以下の3つのグループに分類し、医師・看護師・コメディカル・事務職員等を配置する。なお脱衣した衣服や靴は、確実にビニール袋に入れ汚染拡散防止に努める。

• 自己乾的除染グループ 自ら脱衣、露出部清拭が可能な独歩可能な患者を想定

ⅰ. 脱衣

ⅱ. 露出部清拭

• 介助乾的除染グループ 脱衣、露出部清拭に介助が必要な患者で車イス等の要援助者を想定

ⅰ. 脱衣

ⅱ. 露出部清拭

• 臥位乾的除染グループ 意識障害や重篤な症状等であるトレッチャーでの搬送が必要な患者を想定

ⅰ. 脱衣

ⅱ. 露出部清拭

3)診療

ⅰ.医師・看護師・事務職員

2.「NBCテロその他大量殺傷型テロ対処現地関係機関連携モデル」における関係機関連絡先を事前に確認しておく。

①消防本部

②警察

③海上保安庁

④管轄保健所

⑤地域の救命救急センター・救急医療施設・災害拠点病院、医師会、日本赤十字社等

⑥専門機関

日本中毒情報センター[中毒110番:大阪、つくば] 5.事前計画を評価しておく

①資器材の定期点検

②訓練の実施と改善活動

③地域防災計画等で病院の責務と役割を明確にしておく

④自病院のみで対応できない事柄に関して事前に救命救急センター・救急医療施設・災害拠点病院、医師会、日本赤十字社、保健所、行政と調整する

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Ⅲ 災害発生覚知後の対応

・目的

化学テロ災害発生時に、迅速に病院受け入れ態勢を構築する。

病院職員や外来・入院患者の2次被害を防止する

1. 化学テロ災害を疑う事象は?(SCENE AND SIZE UP)

・テレビ、ラジオ、インターネット、SNS等の情報ツールにより災害の発生を覚知する ・以下の状況をみた場合、化学テロの発生を疑う(表3)

表3 化学テロ災害を疑う事象

・ 同一場所、同一時期の多数患者発生・ 動物、鳥、魚、植物の死や変化・ テロ予告・ 原因不明のショック、意識障害、神経症状、嘔吐、下痢、皮層症状の発生・ 爆発事故・事件(化学剤の併用も念頭におく)・ 原子力関連施設、化学工場内の事象など
2.化学テロを疑ったとき・発生情報を得たときの行動
【括弧内】は実施者を示す。 1.レベル(規模)の推定

消防や警察、保健所や都道府県、他医療機関、メディア(テレビ、ラジオ)、SNS、インターネット等の情報を総合的に判断し、当院に来院する可能性のある傷病者数を推定する。なお、発災当初は情報が十分でないことが通常であるため、繰り返し情報収集と解析に努める。

2.院内責任者(院長など施設運営管理責任者)に報告 【現場指揮者(救急部門責任者)】

ⅰ.必要に応じて院内災害対策本部の設置を要請する。

ⅱ.災害規模に応じて、外来、手術、検査などの通常業務の継続可否を検討について災害対策本部に依頼する。

3.院内関連部署への情報提供と人員の招集災害対策本部または現場指揮者(救急部門責任者)】

*院内緊急招集放送コードの利用を考慮する。

ⅰ.診療部門

医師数の確保を診療部長など責任者と相談し、必要に応じて各診療科からの応援を確保する。

ⅱ.看護部門

看護師の確保を看護部長など責任者と相談し、必要に応じて各部署から招集、非番者の招集を検討する。診療部門と協議して空床確保を行う。

ⅲ.臨床検査部門

多数患者の検体検査実施の可能性を通知し準備を指示する。オーダー方法、検体搬送方法.結果通知方法の確認をする(院内災害対応マニュアルに事前計画しておくことが望ましい)。

ⅳ.放射線部門

放射線測定器(表面汚染測定器、線量率測定器など)準備指示、多数患者のX線撮影の可能性を通知し準備を指示する。オーダー方法・検体搬送方法・撮影フイルム返送方法の確認をする(院内災害対応マニュアルに事前計画しておくことが望ましい)

ⅴ.薬剤部門

情報を収集し解毒・拮抗薬を準備する。準備する薬剤や量は原因物質や被災者数によって変わる。

ⅵ.事務部門

多数患者受け入れに関する体制準備指示をする。

トリアージタッグ準備 ・除染設備準備 ・関係機関連絡先確認 ・マスコミ対応準備(対応者、公表内容) ・記録

4.指揮命令系統確認 i) 各責任者を指定し、部門ごとに役割分担する。

下記の分担を担う

① 現場指揮者(患者受け入れに関する全体統括者)

② ゲートコントロール責任者

③ サーベイ 責任者

④ 除染責任者

⑤ トリアージ責任者

⑥ 搬送責任者(個人防護衣装着 有・無)

⑦ 診療責任者

⑧ 情報管理責任者(患者情報集計

事前に役割ごとのアクションカードを作製し、事態発生時に各責任者の指名と同時にカードを配布する工夫も考えられる。

5.患者受け入れ準備【現場指揮者が指示】

個人防護具(PPE)装着指示

ゲートコントロールゾーニング動線

除染設備.除染対応物品(脱衣衣類・靴を入れるビニール、貴重品管理など)

④患者移動動線確認

⑤脱衣場所確保

⑥解毒・拮抗薬準備

⑦死体安置所確保

NBCテロ現地関係機関連携モデルに基づいて、情報を収集し他機関と共有する。

表4 他機関と共有する情報
  • 収容患者数.氏名、症状、疑われる物質
  • 推定物質結果(現地災害対策本部・中毒情報センター)と臨床情報との比較
  • 情報結果を受け取るだけでなく、現地災害対策本部や保健所、中毒情報センターへフィードバックする。
  • 医療機関同士の情報交換も必要
※ 個々の医師、機関からの問い合わせによる回線輻輳に注意する。
3.安全確保(3S)

①現場責任者はゲートコントロール担当者、サーベイ担当者、除染担当者、搬送担当者にPPE装着を指示する。特にゲートコントロール担当者は最優先である。

PPE装着(PPEのレベル)は、各病院の準備状況に応じて計画する。汚染された患者に直接する可能性のある担当者はより高度なPPEを考慮する。例えばより高度なPPEが望ましいエリア(除染エリア>ゲートコントロール、搬送介助者>警備、交通整理・誘導>物品輸送、伝令、指揮等)

③事前に計画されている通り、ゲートコントロール、各エリアを設置をする。

除染設備を準備する。

放射線測定の準備する。(可能であれば)

4.収容準備(PREPARE)
I ゲートコントロール ゲートコントロールとは

入院外来患者や病院職員を汚染から守るために、敷地の入り口や建物の入り口において汚染の可能性のある患者を分ける活動である。具体的には、警備員や病院職員を病院敷地の出入口(門)や建物の出入口(玄関)に配置し、災害現場付近から来院する汚染の可能性のある患者をいち早く発見し、病院建物内への侵入を防止し、待機場所や脱衣場所へ誘導する活動をゲートコントロールという。

・ポイント

ゲートコントロールは、病院の機能を維持するために病院を汚染から守る重要な活動である。 ・ゲートコントロールには、病院敷地へのゲートコントロールと病院建物へのゲートコントロールがある。 ・地下鉄サリン事件でも明らかなように大部分の患者は徒歩やタクシーで自ら来院するので早期のゲートコントロールが重要である。 ・二次被害を防止する観点から、化学テロ災害の汚染者(患者)と非汚染者(通常の患者・職員など)が混じることがなく分けて対応することが必要である。 ・汚染された可能性のある患者は、決められた場所に誘導・待機させ、院内に入る前に必ず除染を実施することが重要である。 ・建物の入る前には必ず除染が完了しているか確認する(病院建物へのゲートコントロール

Ⅱ ゾーニング・動線

ゾーニングとは汚染度や危険性に応じて区画をわけること。各エリアでは指定されたレベルの防護を行う。スタッフや資器材のエリア間の移動の際には、除染が必要となる。

人(患者・スタッフ)が動く時に通ると思われる経路を線であらわしたものを動線という。

・ポイント

・被害拡大防止のために行う。病院の汚染回避により通常診療の継続が重要である。 ・汚染区域と非汚染区域と区別するためにゾーニングを行う ・ゾーニングを行うことにより、汚染者(治療側も含む)が非汚染者と接触、交差することを防ぐ。 ・境界を明確に区別するため、テープなどの目印を使用し、明瞭に表示する。 ・ゲートコントロールから除染エリアまでが除染エリア(ウォームゾーン)、以降は診療エリア(コールドゾーン)となる。 ・院内で汚染が明らかになった患者や追加水除染が必要な患者を誘導するための動線や緊急待機エリアを院内に設置する ・ゾーニングの目的を果たすには、区域を決めるだけでなく、患者を誘導することが重要である。 ・患者動線は一方通行になるようにする。 ・ゾーニングは、風向き、土地の高低、車両のアクセスなどを勘案して行うのが理想であるが、病院のゾーニングは建物の配置、空間の場所により制限をうける。

5.サーベイ(SURVEY)

数人の患者に対して症状の組み合わせ(トキシドローム)から原因物質を推定する行為をサーベイという。放射線検知器が使用可能あれば放射線測定を実施して早期に放射線(R、N)の関与を判断する。

・ポイント

放射線測定を実施する(早期に放射線(R、N)の関与を判断する) ・トキシドロームから原因物質を推定する ・気道確保、体表の活動出血に対する止血のほか、神経剤曝露(縮瞳・分泌亢進、線維束攣縮の存在から判断)に対する硫酸アトロピン投与は容認される。

表5 トキシドローム(CHEMM Toxidrome Cards10をもとに翻訳作成、一部改変)

トキシドローム症状 剤(例)
抗コリン性 視力障害、昏睡、意識障害、せん妄、乾燥、発熱、発赤、幻覚、便秘、記銘力障害、散瞳、ミオクローヌス、痙攣 抗ヒスタミン薬、三環系抗うつ薬、ブスコパン等の胃腸鎮痙薬、ベンゾジアゼピン(無力化剤)
抗凝固性鼻出血、点状出血、倦怠感、脱力、蒼白、出血傾向、ショック ワーファリン、抗凝固薬、抗血小板薬
有機溶剤、麻酔薬、鎮静薬への曝露興奮又は意識障害、行動異常、不明瞭言語、眼振、失調歩行、熱傷様皮膚ガソリン、ベンジン、トルエン、有機溶剤、ベンゾジアゼピン、バルビツレート
コリン作動性下痢、尿失禁、縮瞳、気管支分泌物増多、徐脈、流涎、嘔吐、流涙、痙攣有機リン、カルバメート、ニコチン、ピロカルピン、メスチノン、神経剤サリンソマンタブンVX等)
痙攣性痙攣、痙攣重積発作ヒドラジン、殺鼠剤(テトラミン)、ビクロトキシン、ストリキニーネ
刺激性・腐食性
(吸入)
呼吸促迫、呼吸困難、咳嗽、軌道分泌物増多ホスゲン、アンモニア、塩素、暴動鎮圧剤
刺激性・腐食性
(経口・経皮)
(経口)粘膜障害、嘔気・嘔吐、流涎、腹痛
(経皮)皮膚刺激症状、疼痛、発赤、水疱、流涙
ホスゲンルイサイト、アンモニア、塩素マスタード、フッ化水素、ジクロロメタン、暴動鎮圧剤
卒倒(ノックダウン)型 過換気、呼吸促迫、低血圧、意識障害、痙攣、開口障害、後弓反張、呼吸停止、心停止 シアン化合物、硫化水素、アジ化物、殺鼠剤(ロテノン、フルオロ酢酸ナトリウム)
麻薬性 意識障害、縮瞳、助呼吸、徐脈、低血圧、低体温、便秘 ヘロイン、モルヒネ、フェンタニル、オキシコドン
ストレス反応/
交感神経興奮性
興奮、せん妄、散瞳、過呼吸、頻脈、高血圧、発汗、高体温、振戦 覚醒剤、アンフェタミン、コカイン、エフェドリン
6. 除染(DECONTAMINATION)

除染とは汚染物質の除去し患者と救援者の被害を軽減する行為である。除染は大別して乾的除染水除染に分けられる。

・ポイント

除染とは汚染物質(汚染された衣服を含む)の除去により汚染物質を可能な限り院内に持ち込まないことを目標とする。 ・患者に対して迅速に乾的除染(脱衣と露出部の拭き取り)を院外で行う。 ・必要な患者にはABCの確保と拮抗薬の投与を除染と同時に行う。 ・衣服汚染の皮膚への浸潤、皮膚刺激症状があれば局所の拭き取り、水除染を追加する。 ・水除染は院外で行うことが理想であるが、院内の除染設備の使用も許容する。 ・除染にはPPEの着用が必要である。レベルCが理想であるが、レベルD(+)も許容する。 ・水除染を介助する場合は、耐浸水性を有したレベルCのPPEを推奨する。 ・プライバシーの保護を考慮しつつ除染動線や場所、資器材を平時から事前に計画し訓練しておかなければならない。

(備考)除染における注意点

1.除染責任者は作業前に現場で環境温・湿度の測定を行う。PPEを着用する要員は相互に簡単な健康チェックを行い、何らかの異常を認めた場合には責任者に報告する。作業前には十分な飲水を心がける。 2.個人防護衣(PPE)着用での除染作業は易発汗性、易疲労性の作業環境にあり、作業の継続は個人差があり、個人の体調、環境温、湿度にも左右される。一般には作業継続可能な時間は30分程度といわれ、交代チームを編成し、適宜交代する必要がある。 3.PPE脱着の際にはペアで着用を助け合う。着用時にはマスク、手袋、作業靴の密閉性をお互いに確認し合う。密閉のため、通常、手袋と袖との間、作業靴と裾との間、正中の合わせ目(ファスナー)、襟元、マスクとフードとの間などに幅広い耐水性のテープを使用する。 4.マスクの吸収缶の正確な装着、蓋の開放、マスクに接続される送気部品の接続と電源の確認もペアで確認し合う。 5.手袋着用の原則は3枚で、まん中が耐化学剤性能を有するもので、最内側は日常用いる使い捨て用手袋で、最外側は炭素入りなどの滑りにくい材質の手袋が望ましい。PPEを脱ぐ際には、最後に最内側の手袋を外す。 6.電池を用いマスク内を送気するPPEでは送気が電池エネルギーに依存するため、電池エネルギーの喪失により送気が停止する。送気の停止は作業者の生命にかかわる事態故、このような型のPPEにおいては補充用電池の確保が必須となる。これは電池を用いる機器(喉頭鏡、SpO2モニターなど)全てに共通する。 7.被災者のプライバシー保護に注意する。 8.被災者のバイタルサイン、神経剤曝露の判断(縮瞳、分泌亢進、線維束攣縮)を忘れない。特に爆傷においては鼓膜損傷による難聴が生じる可能性がある。 9.汚染された衣類,靴、拭き取った布類を安全にビニール袋の中へ収納・管理する。 10.汚染中においても緊急処置(蘇生)を優先する。その際、視診、聴診、触診に著しい制限がある。平時よりPPEを着用し定期的な訓練が重要である。 11.PPEを着用しての除染は視野、聴覚の制限と情報伝達の制限、巧緻性の低下が必至であり、白板などの伝言板、説明文、音声案内、身振りなど工夫を有効に利用する。 12.水除染ではテープ類の固定力が著しく低下する。気管挿管実施時の気管チューブの固定は、チューブホルダー(トーマス®ホルダー)の使用が望ましい。 13.除染の際に使用する薬剤はプレフィルドシリンジを用いることを推奨する。

7. トリアージ(TRIAGE)

トリアージとは患者の重症度、緊急度を判断することである。

・ポイント

除染が終了した患者について治療の優先順位を判断する。 ・START式トリアージをベースにしているが、シアン(CN)、神経剤(N)などでは、呼吸停止であっても、拮抗薬の使用によって状態が改善する可能性があるため、致命的外傷患者でない限り安易に黒に判定しない。(東京地下鉄サリン事件では、呼吸停止の患者が迅速な診療により社会復帰できた事例もある。)

トリアージ基準を 図2に示す。

図2 化学災害患者のトリアージ基準

8. 評価と診療(EVALUATION AND CARE)
・目的・ポイント

Primary survey (PS)

・生理学的危機を探知し蘇生する(バイタルサインの安定化)。 ・化学テロ災害患者特有の病態CN-N(CN:シアン、N:神経剤)を認知し適切な蘇生と拮抗薬投与を行う。

Secondary survey (SS)

・曝露原因物質の推定を進めながら詳細な身体観察・検査・処置。 ・化学剤の特性を念頭に、詳細な発災状況把握と身体観察から原因別の対処を行う。

1.準備 1.場所設定

1.診療場所は、院内災害対応マニュアルに準じる。

2.区分I(赤)、区分Ⅱ(黄)、区分Ⅲ(緑)、区分0(黒)のエリアを設定する。その際に配慮すべきこととして、

1.トリアージからの動線

2.ボトルネックとなりやすいX線撮影や手術室、アンギオ室との動線が交差せずスムーズであるか否かを確認する。

2.人員(スタッフ)配置

1.診療エリアの責任者1名

2.事務職員数名

3.診療を行う医療チーム(医師、看護師):基本的には院内災害対応マニュアルに準じる。

1.区分I(赤)エリア:(医師1名十看護師2名)×2チーム以上

2.区分Ⅱ(黄)エリア:医師1名十看護師2名以上

3.区分Ⅲ(緑)エリア:医師1名、看護師数名

3.資器材

1.レベルD個人防護衣(PPE)を準備。(サージカルマスク、ゴーグル、ガウン、ビニールエプロン、ディスポ手袋、ディスポキャップ)

2.皮膚を露出させないように留意する。

3.通常の診療資器材に加え以下の物品を用意する。

・ホワイトボード、拡声器 ・筆記用具、ハサミ、密閉用ビニール袋、ガムテープ、廃棄物箱 ・通信機器(無線、院内PHSなど):本部、病棟、手術室、放射線科などとの連絡 ・一般診療資器材 ・特殊薬剤(PAM、硫酸アトロピンなど

2.手順と注意点 1.受け入れ

1.診療責任者は役割分担をする。

2.診療責任者は診療エリアの場所を設定し、資器材の確認を行わせる。

3.ベッド作成

4.除染終了患者を境界線まで迎えに行く。

5.施設内にも、緊急隔離エリアを準備し、除染が不十分と判断されれば同エリアに移動させ除染を完結する

2.PRIMARY SURVEY a. 第一印象

外傷診療の第一印象(ABCD評価*)に加え、PSPS**の有無を見てCN-N(シアン、神経剤)を素早く探す。

*(A:気道、B:呼吸、C:循環、D:意識を素早く15秒程度で評価する手順)

**(P:縮瞳、S:鼻汁などの分泌亢進、P;肺・呼吸、S:皮膚・筋所見)

b. 詳細なABCDEアプローチ(通常の外傷診療の手順に加え)

1.Airway:

1)必要なら気管挿管。分泌が多い場合は、神経剤を疑い、吸引。硫酸アトロピン1~2mg筋注。

1.Breathing: 呼吸の評価と安定化

1)頸部・胸部の観察、酸素投与、胸部X線

2)SpO2低下のない呼吸困難ではシアンを疑い、気管挿管と100%酸素投与。

2.Circulation: 循環の評価と安定化

1)皮膚所見、脈の触知、輸液路確保・輸液

3.Dysfunction of CNS: 中枢神経の評価と安定化

1)意識レベル確認、瞳孔所見

2)痙攣コントロールにはジアゼパム5mg静注または10mg筋注投与

3)瞳孔正常、分泌亢進なし、線維束攣縮なしの痙攣ではシアン中毒を疑う。

4.Exposure and Environmental control:除染後の衣類除去と環境管理

1)外傷の合併、皮膚病変評価、保温

2)切迫するシアンを疑ったらSecondary surveyの最初に確定のための情報収集に努める。

重要:Primary Surveyの結果自施設で対応困難と判断されれば上位機関に転院する。

3.SECONDARY SURVEY Step 1 : 切迫するCN確認

Primary Surveyの中でシアン中毒を疑った場合、迅速に以下のことを実行。

1.動・静脈血液ガス分析(説明できない乳酸アシドーシス、静脈血中の高酸素分圧) 2.情報収集(現場物質簡易検知結果、日本中毒情報センターなど) 3.その結果、確定的と判断した場合は早急に拮抗薬を投与する。シアン中毒の拮抗薬投与はStep 5 参照。

Step 2 : ISAMPLE

1.Information: 情報(現場、中毒情報センター)

重要! 「NBCテロその他大量殺傷型テロ対処現地関係機関連携モデル」に基づき消防本部を介して現地の物質検知情報、日本中毒情報センターの情報を収集し、総合して評価・診療をする。また、患者診療の結果、得られた臨床情報を、消防本部および日本中毒情報センターへフィードバックする。

*個々の医師、機関からの問い合わせによる回線輻輳に注意。

2.Symptoms: 自覚症状 3.Analysis, Antidote and Allergy: 分析結果、解毒剤、アレルギー歴 4.Meal: 最終経口摂取時間 5.Place: どこで? 6.Last action: いつ、何をしていたか? 7.Event: どのような状況で曝露された?

Step 3 : 物質特定と観察

1.状況から曝露が疑われる徴候をみた場合化学テロの発生を疑う。 2.瞳孔(P)、分泌(S)、呼吸・肺(P)、皮膚(S)をチェック:いずれかの物質に合致しない場合、PSPSの陽性所見を重視して、複数の物質曝露を考慮する。

Step 4 : 検査所見、その他

神経剤:血清ChE低下 ②シアン化合物:説明できない乳酸アシドーシス、静脈血中の高酸素分圧 ③びらん剤

マスタード;接触時疼痛なし ルイサイト; 接触時疼痛あり ホスゲンオキシウム; 接触時疼痛あり

④放射線(急性放射線症):

・前駆症状(悪心、嘔吐、下痢、頭痛、意識障害、発熱)(被曝直後消失する) ・リンパ球数減少(被曝2時間後から)

Step 5 : 特異的治療

1.神経剤・ 硫酸アトロピン2~4mg(筋注)・・ 分泌が落ち着くまで3~5分ごとに繰り返す・ PAM1g: 20分以上かけて静注 2.シアン化合物・ ヒドロキシコバラミン5g+注射用蒸留水100m/静注(シアノキット(R))・ 直後なら亜硝酸アミル吸入5分ごとに5~6回・ 3%亜硝酸ナトリウム10ml 5~15分かけて・ 10%チオ硫酸ナトリウム125mL 10分以上かけて 3.びらん剤ルイサイトならBAL(R)2〜4mg/kg 4〜12時間毎 筋注を考慮する 4.窒息剤:特になし 5.オピオイド:ナロキソン塩酸塩0.2mg静脈内投与(反復投与が必要) 6.急性放射線症:特異的な治療なし。合併する外傷などの治療を優先する。 7.放射性物質汚染:合併する外傷などの治療を優先する。安定化の後、局所除染、下記キレート剤投与を考慮する。

Step 6 : 詳細な外傷治療

外傷の場合,詳細な全身観察と根本治療を実施する。

【重要】「NBCテロその他大量殺傷型テロ対処現地関係機関連携モデル」に基づき消防本部を介して現地の物質簡易検知情報、日本中毒情報センターや放射線医学総合研究所の情報を総合して評価・診察する。現地での物質簡易検知結果と身体所見が合致するかを常に考え、相互連絡と現場へのフィードバックをする。

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