詳細ー狂犬病

病原体の特徴

はじめに

世界保健機関(WHO)によると、全世界で毎年3万5000〜5万人が狂犬病によって死亡している。狂犬病で死亡するヒトの90%以上がインドを中心とするアジアとアフリカ地域である(図1)。1957 年以降、日本では、1970 年にネパールで野犬にかまれて帰国後に発症して死亡した輸入型の1症例と2006年にフィリピンで飼育犬にかまれて帰国後に発症して死亡した2症例がある。狂犬病は感染症法により4 類感染症全数把握疾患に定められており、診断した医師は7日以内に保健所に届け出る必要がある。

病原体である狂犬病ウイルスは直径75〜80nm、長さ約180nmの弾丸様形態をした1本鎖RNAウイルスであり、ラブドウイルス科、リッサウイルス属に分類される。ウイルスは神経親和性が高く感染部位近傍の末梢神経を介して求心性に中枢神経に侵入する。狂犬病ウイルスは比較的不安定なウイルスであり石鹸などの界面活性剤や有機溶媒によって不活化される。乾燥や熱で容易に不活化するが、唾液中では数時間安定である(図2図3)。

病気の特徴

  1. 発症すれば治癒せず死に至る(ほぼ100%予後不良であり、狂犬病を発症して生き残った事例はこれまでに6例が報告されているのみである。):発病は死亡を意味する。従って、発病した患者にとっては本人の苦痛緩和と家族等による精神的支援が大変重要になる。家族に対しても精神的支援が必要である。
  2. 暴露後予防接種(咬まれた後の予防接種):狂犬病ウイルスに暴露したヒトは速やかに複数回のワクチン接種を行ないウイルスの潜伏期間中に十分な防御抗体を誘導することで発病を防ぐ事ができる。咬傷を受けた後、直ちに傷口を流水と石鹸で洗浄し、スケジュールを決めてワクチン接種を行なうことが重要である。
  3. 感染源(主に発症動物の唾液中に排泄されたウイルス):通常、発症した動物に咬まれたり引っ掻かれたりしてできた傷口や粘膜面からウイルスが侵入して感染する。発症した患者の神経組織、粘膜、尿中にもウイルスは排泄される。極めて稀ではあるが濃厚なウイルスによる気道粘膜感染の報告がある。「人から人」への伝播は極めて稀であり角膜や臓器の移植による発病事例がある。
  4. 長く不定な潜伏期間(発病前の診断は不可):潜伏期間は発症の約6割で1〜3ヶ月であるが、2週間程度から1年以上の潜伏期間も見られる。咬まれた部位(下肢よりも脳に近い上肢や頭部で発症までの期間が短い)、咬傷の程度(深さ等)、衣服の上からの咬傷か否か、受傷後の傷の洗浄の有無等によって大きく異なる。

自然界における分布と特徴(図4図5

  1. 狂犬病の発生が無い国はまれ(世界中で流行):狂犬病が無いと見なされる国は、英国、豪州、ニュージーランド、日本、台湾、シンガポール、ハワイ州等の島嶼国と、一部スウェーデン、ノルウェー等に限られている。英国や豪州、アフリカでは、コウモリが媒介する狂犬病ウイルスに類似したlyssavirus属による人の感染例が報告されている。これら狂犬病以外のlyssavirus属は、20世紀に入ってからアフリカ、ヨーロッパに生息しているコウモリからしばしば分離されてきたが、近年では中央アジアやシベリアで新しい遺伝子型のウイルスが見つかっている。
  2. 狂犬病の流行している動物種(国や地域によって異なる):アジア諸国ではイヌの狂犬病が流行しているが、アフリカではイヌ、ジャッカル、マングースで狂犬病の流行が見られ、中近東ではイヌ、オオカミ、マングース、中南米ではイヌ、コウモリ(吸血コウモリを含む)、北米ではアライグマ、スカンク、コヨーテ、コウモリ、ヨーロッパでは主としてキツネやタヌキが狂犬病の流行原因動物として知られている。

宿主域(全ての温血動物(ほ乳類)が感染する):狂犬病はイヌとヒトだけの病気ではない。ネコ、ハムスター等のペット動物、ウシ、ブタ等の家畜動物、キツネ、オオカミ等の野生肉食獣、その他全ての温血動物が感染して発病する。感染の機会が少ないことから僅かな症例しか知られていないが、海棲ほ乳類のアザラシにも狂犬病の発病が報告されている。ほ乳類で最も種類の多いげっ歯類も同様に感染し、またげっ歯類に次いで種類の多いコウモリは北米におけるヒトへの狂犬病感染動物である。全ての動物が同程度にヒトへの感染源となることはないが、いったん狂犬病ウイルスがその地域の野生動物群に定着すると、ウイルスの根絶は不可能となる。

(注)リッサウイルス感染症(狂犬病を除くリッサウイルス):狂犬病ウイルス以外のリッサウイルスによって起こり、狂犬病に病型が類似する感染症である。英国、豪州、東西ヨーロッパ、アフリカ、中近東等の特定地域に分布している。ヒトのリッサウイルス感染症は稀であり、これまでに9例の患者が報告されている。ヒトはリッサウイルスに感染したコウモリに咬まれることによって発症する(モコラウイルスはトガリネズミとの接触が原因と考えられている)。現在、日本では狂犬病と同様にリッサウイルス感染症の発生もコウモリからリッサウイルスが分離された報告もない。治療等は基本的に狂犬病のそれに準じるが、予防を目的としたリッサウイルス感染症のためのワクチンやイムノグロブリンはない。ヨーロッパでは、ウイルス検査にたずさわる専門家や研究者、コウモリの専門家、動物の輸入販売業など感染源となる野生動物との接触頻度の多い職種はリッサウイルス感染症のリスクグループと考えられ、発症予防のために狂犬病ワクチンの接種が推奨されている。

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主な臨床像

感染から発症までの潜伏期間は咬まれた部位等によってさまざまであるが、一般的には1~2カ月である。発熱、頭痛、倦怠感、筋痛、疲労感、食欲不振、悪心・嘔吐、咽頭痛、空咳等のいわゆる“感冒様症状”と呼ばれる非特異的症状ではじまる。咬傷部位の疼痛やその周辺の知覚異常、筋の攣縮を伴う。これらの初期症状は2~10日続く。引き続き急性神経症状が出現する。脳炎様症状は運動過多、易興奮性、不安狂躁から始まり、進行とともに錯乱、幻覚、攻撃性などが出現する。これらの脳炎様症状は初期には間歇的であり、発作時以外は意識清明である。多くの場合、咽頭喉頭筋群の痙攣に由来する恐水・恐風発作がみられる。恐水発作は痙攣による苦痛のため嚥下困難となり、飲水を避ける状態であり、そのため、脱水症状を併発する。恐風発作は空調などのごくわずかな風量によっても痙攣が誘発される状態であり、苦痛のため過呼吸となる。痙攣が続き、血圧の変動、不整脈、呼吸不全などの自律神経症状が出現、発病後14日以内に昏睡となり死亡することが多い。上記の狂騒型のほかに、一部に麻痺型と呼ばれる型がある。これらは恐水発作や恐風発作を伴わず、四肢麻痺や膀胱直腸障害などの麻痺症状を呈し、Guillain-Barre症候群に類似する。どちらの型であっても発病後平均18日には死に至る。

臨床診断では患者の海外渡航歴と感染の原因と考えられる動物との接触が重要な手がかりとなる。とくに、ウイルス検査にたずさわる専門家や研究者、野生動物の専門家、動物の輸入販売業など海外で感染源となる動物との接触機会が多いと考えられる職種は狂犬病の発症リスクグループと考えられる。海外渡航歴ではバックパッカーなどの青年層ばかりでなく、近年増加傾向にある定年退職後に海外移住する熟年層にも注目すべきである。

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臨床検査所見

血液生化学検査

ヒトの狂犬病では通常の血液検査で特異的な所見はない。一方、脳脊髄液の所見では異常が認められ、発病後の1週間で59%、1週間以降で87%の患者に単核球優位の細胞数の増加が見られる。細胞数は通常100/μLを超えない。脳脊髄液 中のタンパク濃度は中等度に上昇しているが、通常グルコー ス濃度は正常範囲内である。

画像検査その他

狂犬病におけるヒトの感染脳におけるCTは一般に正常である。ヒトの感染脳をMRIで検索した成績が少数あるが、正常という結果と灰白質で画像に変化が見られたという結果が報告されている。MRI画像の変化は、(カリフォルニアの狂犬病患者で、)T2強調画像で延髄と橋部にガドリニウム造影剤による 高信号が認められたという報告がある。

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確定診断

感染初期の生前診断は困難であり、ヒトが狂犬病に感染したことを知るためには患者と接触した動物の脳材料等によって検査を行なうしか方法がない。

狂犬病を発病したヒトの臨床診断においても他の神経症状を有する疾患との鑑別は容易でない。特に、脳炎やGuillain-Barre症候群との鑑別が重要である。

感染から発症までの潜伏期間が数週間から数年(平均1カ月)におよび、この期間内はウイルスを検出することは困難であり血中の抗ウイルス抗体も検出されない。したがって、狂犬病の病原体診断は発症したヒトおよび動物の神経系組織の剖検・生検材料を用いて行うことになる。ヒトが狂犬病の疑いのある動物に咬傷を受けた場合は速やかにPEP(post-exposure prophylaxis: 暴露後予防接種)の開始を行い、病原体診断によりヒトを咬んだ動物が狂犬病陰性と診断された場合にのみPEPの継続が中止される。

検体の採取、輸送、保存など

狂犬病が疑われたヒトの生検、剖検および狂犬病が疑われた動物の剖検では十分な感染防護処置を行ない作業中における検体組織等の飛散や感染組織(神経系組織、体液、特に唾液)と皮膚及び粘膜との直接的な接触を避ける。

狂犬病が疑われた患者の病原体診断は、「唾液」、「脳脊髄液」、「うなじの毛根部組織」で行う。唾液と脳脊髄液は、1回の検査に500ulを使用するため再検査を考慮して1mlから2ml以上の採取が望まれる。うなじの毛根部組織は、後頭部うなじの生え際について直径5-6mm以上の範囲で10本以上の毛根部を含むように皮下組織ごと生検を行う。組織は可能であれば2ヶ所採材して1つを中性緩衝ホルマリンに入れて病理組織検索用とし、1つを病原体検出用とする。「血清」については、500ul以上あれば中和抗体の検査が可能である。

いずれの検体も採材後は速やかに冷蔵状態として検査施設に移送する。検査が当日行えない場合には、-20℃以下で冷凍保存を行った後に、速やかにドライアイス等で冷凍状態のまま移送を行う。長期間保存する場合には-70℃以下が望ましい。ただし、ホルマリン固定されたうなじの毛根部組織については冷蔵状態で保存を行い冷蔵もしくは室温にて移送を行う。

他に、角膜塗抹標本を利用した角膜上皮中のウイルス検出も可能ではある。しかしながら、角膜上皮を正確に採取することは難しく(昏睡状態の患者で特に困難)、塗抹作成時に患者の角膜に永続的な傷が残るため、事前に診断ラボと相談して必要を認めた場合に眼科医等の専門家が角膜塗抹を行うべきである。なお、塗抹スライドで直接蛍光抗体法を行う場合には、風乾後に冷アセトン固定を10分間行ない再度風乾して、スライドは冷蔵もしくは冷凍状態で速やかに移送する。遺伝子検出を行う場合には塗抹を冷蔵もしくは冷凍状態で速やかに移送する。

狂犬病ウイルスに接する機会の高いリスクグループはあらかじめ狂犬病ワクチンの暴露前接種を行なっておく。

微生物学的検査法

狂犬病では、血中や髄液中の抗狂犬病ウイルス抗体の検査は、発病以降でないと抗体が上昇しないため役に立たない。また、ワクチン接種者では抗体による狂犬病ウイルス感染の証明は不可能である。

微生物学的検査として「唾液」、「脳脊髄液」についてはRT-PCR法によるウイルスの遺伝子検出が主として行われている。また、「うなじの毛根部組織」については、RT-PCR法による遺伝子検出と免疫組織化学法による抗原検出が可能である。RT-PCR法と免役組織化学法により狂犬病ウイルスに特異的な遺伝子や抗原が検出された時点で狂犬病陽性となるが、発生の希な感染症であることや感染経路の特定により輸入感染症の是非を明らかにするために、RT-PCR法によって検出された遺伝子の塩基配列について解読を行って最終的に狂犬病であることを確定する。

なお、採材された生検材料から狂犬病ウイルスの遺伝子や抗原は検出されなかったが、患者の臨床症状等から狂犬病が強く疑われる場合には、数日後に生検を行うと同時に生検材料を乳飲みマウスや培養細胞に接種してウイルスの分離を試みる。

狂犬病の生前診断では、検体の採取時期や患者の病態等により検査材料が十分採取できない場合や、採取した検体からウイルスを検出できない時期がある。したがって、狂犬病の疑われる患者の生前診断では病原体診断が陰性の場合でも狂犬病を否定することはできない。このため、数日の間隔で生検材料を採材して病原体診断を繰り返す必要がある。海外の事例では、死後の剖検により採材された脳組織や唾液腺について病原体診断を行って初めて狂犬病と確定された事例が幾例もある。

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治療

狂犬病はワクチン接種により予防が可能なウイルス感染症であり、特に、感染直後であれば予防的治療(暴露後のワクチン接種)によって発症を予防できる。しかしながら、発症後の治療法は確立していないため、患者に対しては苦痛の除去と精神的支援が重要である。家族に対しても精神的支援が重要である。

患者の苦痛を除くためには鎮静・人工呼吸器管理が有用であるが、救命はほぼ不可能である。これまで暴露後ワクチン接種を受けずに発病した回復例はない。インターフェロン、リバビリン、シトシン・アラビノシドなどを用いた臨床試験が行われたが、いずれも無効であった。2005年にリバビリンとアマンタジンを用いた回復例が報告されたが、その後の追試では効果は確認されていない。

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予防(ワクチン)

狂犬病発生地に出かける際には前もって必ず組織培養不活性化狂犬病ワクチンを接種する。発症したヒトや動物の治療方法はない。一旦発症すれば特異的治療法がないので、感染の疑いがある場合には、できるだけ早期に予防的治療を開始する必要がある。狂犬病流行地への旅行者、研究者、獣医師などのリスクグループでは事前に狂犬病のワクチン接種を行なう事が勧められている。

狂犬病が疑われるイヌ、ネコ、野生動物等に咬まれたり、ひっかかれたりした場合は、まず傷口を石鹸と水でよく洗い流し、医療機関を受診して医師もしくは専門家の判断を仰ぐ。狂犬病の予防的ワクチン接種(暴露後ワクチン接種)では5回のワクチン接種(動物に噛まれた日から換算して0日、3日、7日、14日、30日)が行われる。場合によっては90日目に6回目の接種をおこなう。初回接種時に人狂犬病免疫グロブリン20IU/kgの併用をWHOは勧めているが、現在国内では入手出来ない。

狂犬病の流行地域で犬等から咬傷被害を受けたヒトへの予防的ワクチン接種および免疫グロブリン投与の必要性は被害時の疫学情報、検査結果、被害状況によって適切に判断されなければならない(図6)。イヌでは臨床症状の見られる加害犬を14日間観察して症状が見られない場合には狂犬病に暴露されなかったと判断してワクチン接種を取り止める事ができる。

(補)世界では、毎年1千万人以上のヒトが暴露後のワクチン接種をしており、その多くはアジア諸国である。一方、人の狂犬病発生数が少なくなった欧米等の先進諸国でも年間何十万ものヒトが狂犬病の暴露後ワクチン接種を受けている。これは、欧米諸国でもヒトが狂犬病に感染する機会の少なくないことを示している。海外に出かける際には渡航地の狂犬病事情をよく理解して、イヌ、ネコ、リス等飼い主の明らかでないペットや野生動物に注意して気軽に接触しないことが大切である。また、狂犬病流行地域およびそこからの動物の移動にも注意を払う必要がある。特に健康状態や疫学的背景の不明な野生動物については輸入、繁殖、移動などを行うことの危険性を十分に理解したい。

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バイオハザード対策

患者および検体の取り扱いに際しては、組織等の飛散に十分注意を払い感染組織(神経系組織、体液、特に唾液)、粘膜との直接的な接触を避ける。作業中は防護手袋、マスク等の保護器具を必ず使用する。検査材料を取り扱う者に狂犬病発生の報告はないが、万一に備えてあらかじめワクチンを接種しておくなどの十分な配慮が必要である。

使用した道具、部屋等は作業終了後にオートクレーブ処理等により十分にウイルスの不活化を行う。病原体の取り扱いは、野外株(street rabies)ではP3 レベルの実験室であるが、診断用の検体および実験室株(fixed rabies)の取り扱いはP2の実験室となっている。

CDCの狂犬病に関するQ&Aによれば、これまで医療従事者が医療を通して狂犬病に感染した事例はないが、粘膜・傷のある皮膚にウイルスを含む唾液等が付着した場合は感染の可能性を否定できず,特に挿管・吸引等の際には確実に防護するよう薦めている.基本的には標準予防策の遵守であり、挿管・吸引時にはゴーグルあるいはシールド付きサージカルマスクを装着すること、吸引時には閉鎖式吸引チューブを用いること等が薦められる。患者との接触者調査を行い、「患者の唾液等の体液が粘膜・傷のある皮膚に付着した、吸引処置時の防護が不十分だった、患者に使用した器具で受傷した」医療従事者には曝露後予防を行う。狂犬病は発病すればほぼ確実に死に至る疾患であるため、上記のような正確な情報提供によって医療従事者の不安を除去する必要がある。

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参考文献

    1. CDC;Rabies Prevention and Control: Healthcare Settings -updated May 10, 2006( http://www.cdc.gov/ncidod/dvrd/rabies/prevention&control/preventi.htm
    2. 病原微生物検出情報(IASR)関連ホームページ( http://idsc.nih.go.jp/iasr/28/325/tpc325-j.html)

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2009年11月09日 21時25分 改訂